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本会について



本会(略称:NISM)は国家資格である「はり師」「きゅう師」「あん摩マッサージ指圧師」の免許を有する者で構成される職能団体であり、公益社団法人・兵庫県鍼灸マッサージ師会に所属しています。



創立の経緯
1934(昭和9年)、西宮警察署管内(当時の管轄は警察署)の業友およそ100名によって“業友の団結と親睦、並びに業界の発展”を期し「西宮鍼灸按摩組合」という名称で発足しました(場所は西宮本町会館)。当時の理療業は内務省令取り締まり規則による鑑札制でした。 新規開業に際して業者間2丁(約220メートル)以内は認められず、治療費の決定も独自では行なえない等、細かい規則がありました。当時の治療費はマッサージ半身が40銭、全身が80銭でした。日本酒2級が1升1円の時代です。

 

第二次世界大戦における再出発
戦禍の拡大に伴う物資不足や疎開、1945(昭和20)年8月5日〜6日の爆撃による会員の爆死、また当時の組合長が他界したことで本会は一時解散状態に追い込まれました。しかし1946(昭和21)年7月21日業友およそ30名が再建総会を開催、新たな出発を誓いました。

 

鍼灸禁止令との戦い、身分の確立
1947(昭和22)年、占領軍より「鍼灸禁止令」が出されました。これに対して全国の業友は一致団結、連日東京に足を運んで伝統的な東洋医学の意義や鍼灸の科学的有効性を説明しました。その結果、条件付きながら禁止令は解除に至りました。 同年公布、翌1948(昭和23)年施行の法律によって「あん摩、鍼、灸、柔道整復師等営業法」が成立したことに伴い、管轄が警察署から保健所に、鑑札制は免許制に改められると同時に、それまでの営業免許から身分免許となりました。その後、都道府県知事免許制度を経て1993(平成5)年より国家試験が開始、現在の免許は厚生労働大臣によるものです。

 

本会の活動実績
(ヘルスライフ夙川店治療室)
1986(昭和61)年に開業した「薬湯風呂ヘルスライフ夙川店」を利用される方々より鍼灸マッサージの要望があり、本会が1987(昭和62)年9月に開設しました。 ここでは会員の生活権擁護のため無免許(=国家資格を持たない)者は採用せず、また入湯者以外への治療は行なわないという協定の下、順調に運営を行なっていましたが、1995(平成7)年の阪神淡路大震災により倒壊、閉鎖に至りました。 震災によって会員数の激減、当時の会長宅が倒壊したため、本会の団旗や資料、備品等の多くが紛失してしまいました。
(敬老治療奉仕)
会員が施設に赴く奉仕で、1953(昭和28)年より30年間、中断の時期はありますが平成5年より再開しました。50年近く続いた活動でしたが、現在は毎年10月末の「にしのみや市民祭り」でのマッサージ奉仕に受け継がれ、大変好評を頂いています。
(学術講習会)
昭和30年より年に数回実施しています。また2013(平成25)年より始まった月1回の定例勉強会では外部より専門講師を招く等、技術以外での知識向上も図っています。
(関連団体との協力)
メディカルケアネット西宮(事例検討会)への参加など。

 

役員(令和3年4月1日現在)

顧 問   中村 武人 
会 長 中南 正
副会長 森田 祐加
  横山 善人
事務局長 滝川 敦子
会 計 森田 祐加(兼任)
学術部長 森田 祐加(兼任)
広報部長 横山 善人(兼任)
監 事 岡山 孝守
  杉 輝章
理 事 今福 稔
  村井 美佐子
  友田 順子
  井上 峰子



会長 中南 正

歴 代 会 長
初 代   高塚 譲治
第二代   三平 松太郎
第三代   小野 末吉
第四代   難波 喜代松
第五代   清水 健一郎
第六代   奥井 仙太郎
第七代   西村 芳数
第八代   山下 晴久
第九代   難波 喜代松
第十代   濱田 利峻
第十一代  志倉 一三
第十二代  山下 晴久
第十三代  清水 健一郎
第十四代  奥井 仙太郎
第十五代  山下 晴久
第十六代  柴田 一雄
第十七代  山下 晴久
第十八代  堀部 一志
第十九代  西村 福二
第二十代  上村 昭彦
第二十一代 北村 喜久雄
第二十二代 横山 俊彦
第二十三代 北村 喜久雄
第二十四代 中南 正